[!warning] ちょっと警告。今回の話はかなりダークになる。もし今メンタルがきついなら、無理せずスキップしてほしい。また別の時に戻ってきてくれれば全然大丈夫だから。それに、もしこれを読んでる今まさに自分自身がどん底の穴の中にいるなら、生身の人間に頼ってくれ。俺が救われたのはまさにそこだった。
ということで…前回のブログの続きから。
ぶっちゃけ、2025年の夏はこれまでの人生で最悪(WORST)だったかもしれない。細かい話は省くけど、要するに(tldr;)、その夏に故郷のインドとパキスタンの間で衝突があって、いろいろあって俺は基本的に_すべて_の資産を失った。文字通り一文無しになったんだ。
しかもマジでタイミングをあざ笑うかのように、あと2ヶ月ほどで✨ 学費 ✨の支払い期限が迫ってた。学費だけでだいたい9k(約9000ユーロ)、それに加えて家賃と、「人間だからメシを食わなきゃいけない」というちょっとした不都合な問題。これだけでも十分クソなのに、さらに追い打ちがあった。俺は移民だから、払えなければ単に1学期落第するだけじゃ済まない。migri(フィンランドの移民局)からバイバイされて強制送還される。つまり、パート1で築き上げた生活、人脈、役員の座、そのすべてが、持ってもいない大金を差し出せなかった瞬間に消滅するってわけだ。(ああ、フィンランドや移民制度についての愚痴はまた別のブログでたっぷり書くから覚悟しといてくれ)。
だからまずはまともな人間らしく仕事を探した。どんな仕事でも、文字通りどんな仕事でもだ。600件以上の求人応募を送りまくり、返信を待つことすらやめて、レストランやBurger King、工事現場、工場へ直接飛び込み営業を始めた。皿洗いでもレンガ運びでも、給料が出るなら何だってやる気だった。でも、誰も雇ってくれなかった。600通の応募と十数回の直接交渉を経ても、返ってきた答えはどれも一様に、耳に響く*「No」*だった。
俺は精神的に崩壊していった。不採用の山が積み重なり、自分の中の何かが壊れてしまった。一瞬の希望の光から、一気に不安と絶望の底へと急降下する日々。日々の感覚も曖昧になり、自殺願望を抱くようになった。ここLahtiにあるスキージャンプタワーの周りを歩き、そこに立って、一番上から飛び降りる自分を思い描いた。EU内にある安楽死センターをいくつか調べて、そこへ飛んで自殺(kms)する計画まで立てたくらいだ。
結局、怖くてできなかった。こうして書いてるんだから、まあ当然わかってると思うけど。
そして飛び降りが無理だと分かると、壊れかけた俺の脳みそは別の出口を見つけ出した。どうせ死ぬなら、何かしら意味のある形で死んだほうがマシだと考えたからだ。当時はUkraine紛争がピークで、文字通り誰でも彼でも受け入れていた。俺は思った。「まあ、ドローンの仕組みは知ってるし、あそこに行ってエンジニアとして戦えるチャンスかもしれない」と。
そこでどうにかリクルーターと連絡を取り、第4国際軍団(4th International Legion)への召集を取り付けた(その召集状は今でも額に入れて壁に飾ってある)。手元には700ドルほどしか残っていなかったが、装備一式とドローンキット、Poland行きのチケット、そしてウクライナ国境へのバスチケットを買うにはほぼぴったりな額だった。だから荷造りを始め、必要なものを注文した。でもその前に、親しい友人数人に連絡を取って、自分の…意図を伝えることにした。
あんなに人に激怒されたのは生まれて初めてだった。大親友が俺のいる場所に怒鳴り込んできて、思いとどまらせてくれた。彼女はもう一度、俺に希望をくれた。いくらか現金を工面してくれて、_何とかする_ための道筋を一緒に考えてくれた。
どうにかもう少し持ちこたえていた頃、ちょうどLahtiESの取締役会が控えていた。LahtiESの役員陣は俺が溺れかけているのを察知し、まさにその件についてガチの役員会を開いてくれた。ホワイトボードを使って真面目に検討した本気の選択肢の中には、在留資格を維持するために俺が役員の一人と書類上で_結婚_する、つまり手続き上だけの同性カップルになるという案まであった。俺をこの国にとどまらせるために、真剣に移民詐欺(あるいは狙っていた助成金申請の粉飾)を企て、そのルート全体を描き出してくれる仲間たちを見て、これほど人に支えられていると感じたことはなかった。正直、みんなのことが本当に大好きだ。
同じ頃、Forward by LUTESに挑戦するチャンスもあったが、諦めざるを得なかった。そこに参加できるような精神状態では_到底_なかったからだ。それについては今でも少し胸が痛むが、何よりも生き残ることが先決だった。そんな時、アメリカにいる叔父が助け舟を出してくれて、フリーランスとしての第一歩を手伝ってくれた。叔父はいい人なのだが、同時に(愛を込めて言うけど)一緒に仕事をする相手としては心底最悪な人間でもあった。でもどちらも事実で、そのおかげで食いつなぐことができた。学費は家族の友人からなんとか借金をかき集め、フリーランスの仕事で毎週毎週の生活をギリギリ維持していった。
自分のことながら、今でもよく分からない部分がある。俺はまだ死にたかった。友人に助けられたからといって、そのスイッチが急に切れるわけじゃない。でもそれと同時に、そのすべての底流には、何かを作りたい、それも何かデカくて、卓越していて、誰にも否定できないようなものを作りたいという、猛烈な衝動があった。自分が生きている(居場所を占めている)ことを正当化する唯一の方法は、それに値する何かを作り上げることだけだ、とでもいうように。
だから、俺にとって本当に腑に落ちる唯一のことをした。働いたんだ。それも1日18時間。休むのは基本的に寝るときだけで、オフィスの床で寝ることもあった(正直、「たまに」どころじゃなかった)。その場所がCrazyTown Lahtiだった。そこのToniとSini、本当にありがとう。自分の居場所があり、顔を出せば喜んでくれる人がいることが、当時の俺にとってどれほど意味があったか、想像もつかないと思う。そして俺が作っていたのは、queryablesというプロダクトだった(これについては別のブログで詳しく書く)。資金調達をして本物のベンチャー企業にするのに十分な代物だと思っていたし、自分が正しいということに、残されたすべて(といってもほぼ時間だけだったが)を賭けようとしていた。
そして結果的に俺は正しかった。予想していた形とは違ったけれど。というのも、LahtiESの元代表であり俺の友人でもあるJazen Cordero(言っただろ、Jazenのこと覚えてるよな)が、Antler Helsinkiでインターンをしている最中に俺が作っているものを聞きつけ、周りに紹介してくれたんだ。そして偶然にもAntlerのポートフォリオ企業に、俺とまったく同じ領域でプロダクトを作っているBotSpotという会社があった。彼らと話したところ、俺と俺の作ったものを高く評価してくれて、競合するのではなく丸ごと買収し、俺をFounding Engineerとして迎え入れたいと言ってくれた。だから俺は「Yes」と答えた。
それが2025年9月のことだ。あの夏以来、初めて足元の大地がしっかり固まったのを感じた。その頃SLUSHのボランティアにも参加し、モノづくりをする人たちで溢れる部屋に再び身を置いた。ただ今度は、「元気なフリ」を演じる必要はなかった。本当に元気だったからだ。グラフのラインは再び上を向き始めた。そして今回は、次の転落の前触れなんかじゃなく、ただひたすら…上を向いていた。
まあ、この後にも話は山ほどある。AIの話、メモリ関連の話、今作っている会社の話…でもそれは別の記事に譲ろう。この記事の目的はただ一つ。人間が行ける一番のどん底まで落ち、片道バスチケットの計算をするほど崖っぷちに立たされていたけれど、俺は今もここにいて、今もモノを作り続けているということ。それを声に出して伝えることだ。俺が強くて打たれ強いタフガイだからじゃない。俺の親友、偽装結婚まで本気で企ててくれた役員たち、叔父、家族の友人、Toni、Sini、そしてJazenという、一握りの人たちが、俺が静かに消えていくことを断固として許さなかったからだ。
だから、俺が姿を消していた2年間から何か一つだけ受け取ってもらえるなら、これを受け取ってほしい。モノを作りたいという思いが俺を前へと引っ張ってくれたけれど、それを実現できるまで俺を生かし続けてくれたのは人だった。だから頼むから、どん底の穴の中に一人でいようとしないでくれ。俺は一人で抱え込みかけたし、その「あやうく」がこの物語のすべてなんだ。
とにかく、ここまで読んでくれて心からありがとう。いつでも気軽に連絡してくれ。誰かと一緒のほうがいつだってマシだから。
~ A.