現在時刻は0時44分頃。会社のDAGパイプラインの改善作業をしていて、インテグレーション周りのバグ修正をしている最中に、LinkedInの通知がポップアップした。builderやfounderについての何からしい。Radicleを触っていたので、プライバシーなんてもう死んでいるという理由でそれ関連の通知も出てくる。こうした通知を見ているうちに、ふと……ある考えが頭をよぎった。
最近ずっと考えているのだが、現代生活のほぼあらゆる側面において、個人であれ企業であれ、僕たちは自分自身を単調さへと最適化しすぎてしまっているように見える。まあ、単に僕の周りの界隈がそうであるだけかもしれないけれど。みんな何かや自分自身を「build」してはいるが、僕の知る限り、純粋にそれが好きだからという理由だけで(本当に_心から_)createしている人は誰もいないように思える。言葉にするのが難しい感覚なので、少し付き合ってほしい。
自分がこれまでに触れてきたメディアは、一体どのように僕の魂に影響を与えているのだろうか? 最近、歴代のお気に入りアニメをいくつか見返していた。かなりニッチな作品もあれば、Jobless ReincarnationやSomali and the Forest Spiritのような人気作品もある。そこで気づいたのは、自分の心や魂を揺さぶったものの多くには、これといった理屈や理由がなかったということだ。それはたった1行のセリフだったり、ワンシーンだったり、音楽だったり、あるいはたった1枚のスクリーンショットだったりする。それだけでその作品をもう一度体験する価値が生まれるのだ。
考えてみれば、これまで触れてきたどんなメディアでも同じだった。作品全体(アニメ/本/映画)としては本当にクソみたいな出来だったとしても、無数の感情の粒子へと一気に爆発させてくれるような_たった一つの何か_が必ず存在する。不思議なものだよね。これを書きながら、自分でも何だかよくわからない涙が出そうになっている。
僕たち人間というのは実に興味深い。静かな絶望に満ちていて、どこまでも有限で。ずっと僕の心に残り続けているものの一つを、今でもはっきりと覚えている。(ちなみに今めちゃくちゃ長文の語りモードに入ってるけど、そういう気分なんで笑)
もうかなり長い間追いかけている、Painting The Mists by Patrik G. Laplantieという本のシリーズがある。シリーズ全作を読んだし、何度も読み返しているが、作品それ自体が特別_すごい_ものというわけですら全くない。多くの人にとっては、よくあるcultivation slop(用語が分からなければググってほしい)と見なされるかもしれない。けれど、このシリーズが僕の心に残り続けている理由の一つは(ちなみに歴代最高のお気に入り本ランキングの1位というわけではない、それとは別の特別な枠にある)、そのシリーズの主人公(MC)に対して妙な親近感を感じるからだ。Patrikがどんな意図で執筆していたのかは全くわからないし、最初に1巻を読んだのがいつだったかも覚えていないが、1巻の_ある一行_が僕の魂を_揺さぶった_ことだけは確かだ。
実にシンプルな言葉だ:
the MC comes across a staff/brush that reads out:
Do not let worry color the landscape. Why not paint the heavens? With this Clear Sky Brush.
なぜそれがこれほど自分に響いたのかは分からないが、この一行を読むだけで、過去もこれからも、Patrikが何を考え、僕たち読者に何を伝えたかったのかを覗き見る窓をいつでも与えてくれる。真に何にも囚われないこと(unfettered)。
そして、それはこのシリーズに限った話ではない。他の作品でも同じことが起きる。最近のDuneの映画で、Paulがフレメンたちの前で演説し、「By the Hand of God, I'm Mahdi(神の御手により、我はマフディーである)」と言うシーン。_あれ_は僕の魂に触れた。あるいは僕の歴代最高のお気に入りシリーズであるRobert Jordan著の「The Wheel of Time」におけるPerrinとFaileのやり取り。Phillip Pullman著のHis Dark MaterialsにおけるLyraのIorekに対する情愛。こうした瞬間があるからこそ、何_冊_もの本を読み通す価値があるのだ。
だから(これまでもそうしてきたし、これからもそうするだろうが)、僕は自問する……なぜ? 一体_なぜ_そうなるのか? 理由はいつだって同じだ。それがアートだからだ。アートが_果たす役割_とはそういうものなのだ。実際、僕のブログの左側にもそれについての引用を載せている。この言葉をどこで見つけたのかはっきりとは思い出せないが、これも長い間ずっと僕と共にある:
Art is not just meant as a medium to express oneself.
Art is something you do to show others how broken you are, so that they may not feel as alone.
_それ_こそが真のアートだ。なんだかほとんど_宗教的_にすら聞こえるし感じられるだろう? 面白いものだ。
すべての作品が全員に響くわけではないかもしれないが、アーティストとしては、自分の作品がたとえ_もう一人_の魂にだけでも触れることができれば、個人的にはそれで十分すぎると思う。
人はよく、人間とは(大半が)これまでの経験の総和に過ぎないと言う。それがいくらかでも真実であるならば、最も深いレベルで魂に触れた経験は、なんでもない普通の火曜日にやった何かよりも、その「総和」に対してはるかに大きな影響を与えるというのも筋が通っている。そしてそれこそが、_creation_と単に物を作ることとの決定的な違いだと思うのだ。
_Creation_は……_純粋_だ。創作者のことや、それが生み出す「価値」のことすらあまり気にしない。意図は大きく関わってくるが、何かを_創り出す_行為そのものが独立したアートなのだ。だがその一方で、「building」は何かのためのものだ。確かにそこには何らかの意図が込められているし、適切な意図と構造のもとで行われればある程度アートと見なすこともできるかもしれないが、_creation_とは違ってそれ自体がアートなわけではない。そこには観察者が必要であり、buildingという行為は消費者を要求する。
僕が見ている限り、人類という種として、僕たちはかなり消費主義へとシフトしてしまった。人々が_build_する度合いと_create_する度合いが乖離し始め、ほとんど_building_の側だけに大きく傾いてしまうほどにそれが起きているように思える。繰り返すが、僕の偏見かもしれないし、これまでの人生経験が見せている不完全な景色に過ぎないかもしれない。結局のところ僕は一人の人間にすぎないし、僕のちっぽけな脳みそに大宇宙のすべての情報を収めることなんてできない。けれど、自分の言っていることには確信を持っている。
_create_する代わりにひたすら_build_し続けなければならないというこの絶え間ない欲求は、社会や国家、コミュニティ、そして最終的には人間そのものをひどく空虚に感じさせる。読者のあなたも気づいたことはないだろうか? 見返りを求めずに同じ人間を助けることが、どれほど_心地よい_かということを。他人の魂の温もりを感じることが、どれほど素晴らしいかを。
マジで誓うけど、こんな語りをしてるとどこかの超右派なやつから「ナヨナヨしたリベラル野郎」とでも呼ばれそうだが、政治が社会に植え付けるくだらない分断の先を見つめれば、ここで主張すべき論点は確かにあるはずだ。
世の中にはアーティストがたくさんいるが、そのうちの何人が_真に_創作しているのだろうか? アートを生産するのは簡単だが、真のアートを生み出すのは_極めて_難しい。確かに美は見る人の心の中にあるものだが、でもさ、歴史に残るような_本物の_アートには一味違う_趣(taste)があることを僕も君も分かっているはずだ。そこにはある種の深み_がある。
ちなみに、世の中のアーティストを軽視したりクソミソに叩いたりするつもりは_一切_ないから、みんな落ち着いてくれよマジで
その違いは_才能_や_努力_、あるいは従来の感覚でのセンスですらないと思う。むしろ、その作品が_誰のため_のものなのかという点にあると思うのだ。何かの指標(メトリクス)や、ポートフォリオ、プロダクトのローンチ、あるいはまだ現れてもいないオーディエンスのために何かを作った瞬間、僕たちは密かにハンドルを第三者に明け渡してしまっている。作品自体は完成するし、良い出来にすらなるかもしれないが、それは埋めるべき穴の形によって形作られることになる。そして、その穴を掘ったのは他人なのだ。
Creationにはそうした依存関係がないため、その問題は生じない。物を作り、もし誰かに響けば素晴らしいし、響かなくたって知ったこっちゃない。重要なのは、それがこの世界に生み出されたという事実そのものだ。Patrikはその一行を_僕_のためだけに書いたわけではない。彼自身の何らかの理由で、ただ自分の思考や感情を声に出して投影しただけなのだと思う。単に金のためだった可能性だってあるが、今となってはどうでもいいことじゃないか? 重要なのは、誰かが紙の上で正直でいたことからポロッとこぼれ落ちたその言葉の前を、僕がちょうどいい角度、ちょうどいいタイミングで通りかかったということなのだ。
というわけで。クソ長い語りだっただろ? まあ、少しでも楽しんでもらえたなら嬉しいが、それ以上にbuildingと_creating_のニュアンスの違いについて、少しでも_考える_きっかけになったなら幸いだ。